正式名称
国士舘高等学校(こくしかん こうとうがっこう)
国士舘高校の学科と偏差値
普通科選抜コース(55)
普通科進学コース(51)
国士舘高校の特徴
国士舘中学校・高等学校(こくしかんちゅうがっこう・こうとうがっこう、英: Kokushikan Junior & Senior High School)は、東京都世田谷区若林四丁目に所在し、中高一貫教育を提供する男女共学の私立中学校・高等学校です。
高等学校において、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間では、第1学年から混合してクラスを編成する併設型中高一貫校です。
国士舘の歴史は、その創立者柴田徳次郎に始まります。1913年(大正2年)には、柴田徳次郎を中心とする青年たちが玄洋社の流れを汲む組織、青年大民団を結成しました。
その後、1917年(大正6年)には東京・麻布に私塾「国士館」(夜間)が創立されました。
1919年(大正8年)には、松陰神社隣接地に国士館が移転し、国士舘高等部が設置されました。
同年、淳宮(後の秩父宮)雍仁親王も学びに来られました。
1921年(大正10年)には、財団法人国士舘維持委員会が発足し、国士神社も建立されました。
1923年(大正12年)には、関東大震災の際に一般避難民救済のために学内が開放されました。
1925年(大正14年)には、国士舘中学校が設置され、1926年(大正15年)には荏原郡西部6か町村合同経営の国士舘商業学校が設立されました。
その後、国士舘は急速に発展し、1929年(昭和4年)には専門学校が設置され、1930年(昭和5年)には高等拓殖学校が設置されました。
1933年(昭和8年)には、国士舘関係者によって満洲国に鏡泊学園が設立されました。
1937年(昭和12年)には、国士舘の憲則が発表され、1938年(昭和13年)には国士神社境内に景松塾が竣工されました。
戦時中、1941年(昭和16年)には専門学校が興亜専門学校として分離独立し、1944年(昭和19年)には戦時非常措置により商業学校が工業学校に転換されました。
1945年(昭和20年)の東京大空襲により、校舎が全焼しましたが、大講堂と柔・剣道場と寮の一部は焼け残りました。
1946年(昭和21年)には、国士舘は名使用禁止となり、至徳学園と改称されました。
1947年(昭和22年)には至徳中学校が設置され、1948年(昭和23年)には商業高等学校と高等学校が設置されました。
1953年(昭和28年)には、至徳学園が国士舘の原称に復し、国士舘高等学校や国士舘短期大学などが設置されました。
国士舘高校の入試
国士舘高校の進学実績
私立大学
- 国士舘大学
- 神奈川大学
- 青山学院大学
- 駒澤大学
- 中央大学
- 明治大学
- 東京農業大学
- 東京電機大学
- 千葉工業大学
国士舘高校の所在地・アクセス
〒154-0023 東京都世田谷区若林4丁目32-1
東急世田谷線 若林(東京都) 約635m 徒歩で約8分
東急世田谷線 松陰神社前 約749m 徒歩で約9分
東急世田谷線 世田谷 約878m 徒歩で約11分
バス 国士舘大学 約333m 徒歩で約4分
バス 世田谷区民会館 約367m 徒歩で約5分
バス 若林四丁目 約581m 徒歩で約7分
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